はじめに

小さなときから
「何か違っている」
「やるせない」
「なぜ生きているのか」
という思いが私の中にありました。

だんだんと外の世界が広がるたびに、
その答えを誰かに求めようとしましたが、答えは得られませんでした。

精神世界の本に出会い、たくさんの本を読んでいくと、
みんな伝えていることは同じだということに気が付きました。

「真理はひとつ」
はるか昔からそれを賢者たちがさまざまな形で説いてきたのです。

ここには私が今まで学び、吸収して、実践してきたことを
私なりに綴っています。

だから新しいものはなにもありません。

たくさんの自己否定、罪悪感と葛藤して戦ってきたあの時の自分に
贈る気持ちで書いています。

自分でこの人生で経験したいことを決めてきたから、何があっても大丈夫!
今このままの、ありのままの自分で完璧で完全だから大丈夫!
大切なのは、外ではなく自分の内を見つめること!
それが愛という真理をすこしずつ思い出していく、この私の人生の旅!
だから何があっても「これでいいのだ!」と自分を信じることが大事!

★まとめ – 最初の一歩-

人生の目的は、一瞬一瞬、愛に戻っていくこと

私たちが人生ですべきことはただひとつ。
どんな時でも愛と共にいること。
そのためには ”どんな時でも平和な心と共にいる”ことが大事。
イラっとしたり、心がざわついたら自分の感情をただ素直に認めて、
「私はどんな時でも平和な心と共にいる!」を思い出して平和な心に戻ろう!

どんな時でも平和な心と共にいる”ためには

自分の記憶の中(潜在意識)には、”こういう状況になったら、こういう感情(態度)になる” という情報が入力されて保存されている。
そしてその状況になると自動的にそれがその度再生される。
だから「どんな時でも平和な心と共にいる!」ことを思い出して、
「エゴ(自我)に振り回されない」ことが大事!

自分の中に記憶されている情報とは

自分の脳内記憶倉庫(潜在意識)には、お母さんの胎内にいたときから現在までの全ての情報が記録されている。
見たこと、聞いたこと、感じたことなど、五感を通じて体験したことが全て!
6歳くらいまではその記憶倉庫が開けっ放しになっているので全部吸収する。
そしてそれが自分の”ものの見方・考え方(価値観)”の土台になっていく!

これは本当に自分のものなのか?

自分の内側から湧き出てくる感情に、良いも悪いもな

自分のメガネが汚れていることに気が付いてますか?

あるがままにみるとは

あるがままにみる-相手-

あるがままにみる-自分-

幸せも不幸せもない

自分が勝手に壮大なるドラマを作って、相手を悪役にし、悲劇のヒロインを演じている

私たちはひとりひとり、このままですべて完璧で完全です。そして私たちはひとりではないのです

自分が幻想の世界を選んで、生きていることに気が付く

人生劇場の脚本、演出、主演は全部自分だった!だから起こることはすべてよし!

すべては必然。だから今を愛と共に大事に生き

すべては必然。だから今を愛と共に大事に生きる

もうそんな過去や未来のことを考える必要はありませんね。
だって私の人生劇場は、毎日一瞬一瞬、自分が書いた脚本通りに
「 最終章 -完- 」に向かって順調に進んでいるのですから。

と昨日書きました。

あのときあっちにしておけば良かったと、
過去のことを悔やむ必要はありません。

これはどっちにしようかなと、
未来のことを心配する必要もありません。

なぜならどっちを選んでも、
(自分がさんざん頭を悩ませて選択したと思っていても)
自分が書いた脚本通りに選択し、人生は順調に進んでいくからです。

どんなこともなるようになっている、
偶然はなく、いつも起こるべきことが起きている、
であうべきことに、であっている

だから、「すべてよし!これでよし!ずっとよし!」なのです。
どんなことも「これでいいのだ!」なのです。

(赤塚不二夫氏の天才バカボンって漫画ご存じですが?
バカボンのパパってすごかったんだってことにこれで気が付きました(^^♪)

これを少しずつでも受け入れられるようになると、かなり人生が楽になります。

そうすると大切なのは過去でも未来でもなく、
「今を生きること」なんだということが理解できてくると思います。

今、目の前にいる人を大事にする、愛と共に。
今、目の前に起こっていることを一生懸命やる、愛と共に。

「人生の目的は、一瞬一瞬、愛に戻っていくこと」だと
最初のブログに書きました。

私たちが人生ですべきことはただひとつ。
どんな時でも愛と共にいること。
それだけなのですね。


人生劇場の脚本、演出、主演は全部自分だった!だから起こることはすべてよし!

私が精神世界に興味を持ち始めたのは小林正観さんの本を頂いてからです。
面白いことがたくさん書いてあり、それらを楽しく実践しながら、
自分のものの見方を変えてきました。

その中に一つに「私たちは生まれる前に全部シナリオを書いてきた。」
というのがありました。

それを読んだときに、腑に落ちたというか、
「なーんだ!そうなんだ!」と笑ってしまったのです。

その時の私はいつも、
「あのときにこうしていたら、私の今はこんなんじゃなかったのに。
もっと幸せになっていたはずなのに!」と事あるごとに思って嘆いて、
自分をどん底まで落ち込ませていたからです。

  • どこで、いつ生まれるのか
  • どんな両親のもとに生まれるのか
  • どんな家庭環境で育つのか
  • 誰と出会うのか
  • 誰と別れるのか
  • どのような様々な体験をするのか
  • いつ死ぬのか

自分自身で、生まれる前に今回の人生劇場の脚本を書き、場所を決め、
配役を決めてお願いし、その物語の主役を演じているのです。

それならば、もう人生に抗う(あらがう)必要は一切ないということですよね。
だって自分でそうしたくて、自分がすべて決めてきたのですから!  

  • こんな家庭で育ったのが悪いんだ
  • あの時あの人と結婚してれば幸せだったのに
  • もっといい大学に入って就職してたらもっと高収入だったのに
  • なんであんなことでケンカしちゃったんだろう
  • 私ばっかり苦労して、ちっとも良いことなどありゃしない
  • こんだけやってあげているのに、誰も私のことを気にかけてくれない
  • 金なし、家族なし、これで職を失ったらどうしよう
  • 将来誰も面倒見てくれないのかと思うと不安だ
  • いつ病気になって、いつ死ぬのか不安だ

もうそんな過去や未来のことを考える必要はありませんね。
だって私の人生劇場は、毎日一瞬一瞬、自分が書いた脚本通りに
「 最終章 -完- 」に向かって順調に進んでいるのですから。




自分が幻想の世界を選んで、生きていることに気が付く

昨日の続きです。

「本来の私たちは愛と調和の世界に生きています。」と書きました。
これが本当の世界です。

エゴに囁かれて、もっと良くなるために
自分でなんとかしようと頑張っている世界は幻想の世界です。

知らぬ間に汚れてくもってしまったメガネをかけて生きている
世界は幻想の世界だということです。

誰から受け取ったのかもわからないような自我で生きている今は
幻なのです。

そしてその投影が、今の自分の人生を作っているのです。

自分が淋しいと思っていると、淋しいと思う状況がやってきます。
自分が悲しいと思っていると、悲しい状況がやってきます。
自分がお金がないと思っていると、お金がない状況がやってきます。
自分がもてないと思っていると、もてない状況がやってきます。
自分が不幸だと思っていると、不幸な状況がやってきます。

この幻想の世界は自分自身の想いが投影されているのです。
自分が作り出しているのです。
それにまず気が付きましょう。

そしてそれが嫌ならば、夢からさめなければなりません。

嬉しくなりませんか!
夢からさめれば、いつも心が平和で愛の中で生きていけるのだ
ということに気が付くのです。

真我の世界で愛に包まれて生きるのもよし。
自我の世界で自分で何とかしなきゃと生きるのもよし。

その選択はすべて自分にあります。

私たちはひとりひとり、このままですべて完璧で完全です。そして私たちはひとりではないのです。

「真っ黒になったメガネをかけて、エゴの壮大なるドラマの中で生きている」
そのことにまず、気が付きましょう。

真っ黒になってしまったメガネの原因は、本当の自分からではないかもしれません。

でもそれが土台となって、それが自分の価値観になり
その判断(記憶が再生される)によって、
様々なドラマを作って、生きているのは自分です。

自然や動物たちと同じように、
本来の私たちは愛と調和の世界に生きています。
あるがままの自分で生きています。

あるがままの自分で生きるということは、
すべてをお任せして
すべてをお願いして
すべてを助けてもらい
すべてに寄り添ってもらいながら
一緒に生きるということです。

誰に?
創造主、神、じっちゃん、おおもと、サムシンググレート、ハイヤーセルフ、
インナーチャイルド、神我、内在神、真我、(などなど大まかですが)。
呼び名はなんでもかまいません。

でもそれは自分の中にあるのです。

だから
もう自分だけで苦しむのはやめましょう。
もう自分を卑下するのはやめましょう。
もう自分を蔑むのはやめましょう。
もう自分には何もないと思うのはやめましょう。
もう自分には何一つできたことないなどと思うことはやめましょう。
もう自分より他人を優先することはやめましょう。
もう自分は孤独だと思うことをやめましょう。

私たちはひとりひとり、このままですべて完璧で完全です。
そして私たちはひとりではないのです。

これが理解できるようになると、楽になります。
そして理解できなくても、
「私はこのままで完璧なのだ。そしてひとりではない」と
そういう考え方もあるのだと思い出すことは、最初の一歩になります。

自分が勝手に壮大なるドラマを作って、相手を悪役にし、悲劇のヒロインを演じている

昔こんなことがありました。

9月は彼との記念日があります。
が、9月は身内の誕生日が2回あり、
もうすぐ誕生日だ。プレゼントはどうする?などと
全然私たちの記念日のことには触れません。

毎年のことなのですが、忘れてるんじゃないの?とやはりイラっとします。
前日にもなんのそぶりもありません。
私も自分から話題をふるのは、私が負けたようで悔しいので(笑)、
何もいいません。(お互い様ですね)
そして彼が誕生日の話をするたびに、イラっとします。

当日はいつものように朝一緒にコーヒーを飲みましたが
私の脳内は怒り心頭です。

  • やっぱり忘れてるんじゃん!
  • いつものことだよね。
  • どうせ頭ん中は彼らの誕生日のことしか考えてないんでしょう。
  • あーなんでいつもこうなんだろう!
  • ほんとむかつく。
  • もう口きくのも嫌だ。
  • 別に記念日なんかたいしたことないしね~。
  • 私のことなんてどうせなんとも思ってないんでしょう!

などなど。
そしてモヤモヤしながらお昼になりましたが、彼がいません。
今度はランチを作りながら、

  • なんで今日に限っていないの!
  • お昼なのにどこいってんのよ!
  • 遅くなるなら電話位すればいいのに!
    (いつもなら今どこ?って私から電話するのに(^^♪)
  • なんでこんなにイライラさせんの!
  • 本当に自分勝手よね!
  • なんでこんな人と一緒にいるのかしら?

などなど、脳内では朝から壮大なる妄想ドラマを作り
ずーっと彼に対しての文句を言い続けています。

そうするとドアを開ける音がしました。
自分では何事もなかったような顔をしているつもりでしたが、
きっとめちゃくちゃいやーな気分を醸し出し、
いやーな顔をして待っていたはずです。

が、戻ってきた彼は手に鉢植えを持って
「今日は記念日だよ!おめでとう!」と言ったのです。
その瞬間、私の気分は地獄から天国に!

「バラの花束を買いにいったのだけど、あまりよいのが無くて
それなら鉢植えの花を買おうと何軒か探し歩いたら遅くなっちゃった!」

と彼が言った瞬間、今まで思っていたことをすべて忘れて
「ちゃんと覚えてくれてたのね!
あー私のために、こんなに探し回ってくれてありがとう!
やっぱり良い人ね!」に変わってしまったのです。

誰にでもこんな経験があるかと思います。
そして日常生活では、こんなことの連続です。
自分が勝手に壮大なるドラマを作って、相手を悪役にして
悲劇のヒロインを演じているのです。

そんなことをせずに、
相手を天秤にかけずに、
勝手な妄想ドラマを作らずに、
自分は悪くない、彼が悪いというエゴの囁きに耳をかさずに、

ただ彼に「もうすぐ記念日だから、私はお祝いしたい!」と
ただ単に伝えれば良かっただけです。

なぜ彼から記念日のことを話し出さないといけないでしょうか?
なぜ彼がお祝いしてくれないといけないのでしょうか?
私がお祝いしたいのならば、自分が行動すればよいのです。

もし彼が、「僕はお祝いしたくない」と言ったら、
ただそれを受け止めるだけです。
なぜなら「彼はしたくない」からです。
それがあるがままに受けとるということです。

– 二人の記念日だからお祝いすべきだ -とか
– ほかの人の誕生日はお祝いするのだから – とか

など、あれこれと考える必要はありません。
なぜなら人のことはコントロールできないからです。
「彼は~すべきだ!」と決めつけているのは自分です。

もちろん「なぜ?」と理由を聞くのはかまいません。
でもその答えに対して、またドラマを作らないことです。

いつもそのドラマを作っているのは ”自分”
そしてそのドラマの全ての瞬間に一喜一憂しているのも ”自分 “
なんだということに気が付くと、その先が変わってきます。





幸せも不幸せもない

自分、他人、ものをあるがままにみていく練習をしていくと
そこにある現象に、自分が色眼鏡をかけて見て、
そう思っていただけなんだということに気が付くかと思います。

不幸という現象はなく、自分が勝手に決めて、そう思っているということです。
幸せも同じです。

全ての人が「幸せ」と思える現象を見つけることができるでしょうか?
それは不可能だと思います。そのようなものは存在しないからです。

でも自分が「幸せ」と思える現象は存在します。
それは私が「これを幸せ」だと思ったとき、それを決めたときに
それは「幸せなこと」になります。

私たちは常に、
「幸せになりたい、もっと幸せになりたい、幸せがやってきてほしい」
と思っています。

でも「幸せ」はやってくるものでも、つかみとるものでもありません。

Aさんが育てている花が咲きました。それを見てAさんは幸せだと感じます。
でもAさんの旦那さんは花が咲いたことにも気が付きません。

Bさんは今日は足の痛みが少し治まって幸せだと感じます。
でもBさんの奥さんは今日は足ではなく腰が痛い。痛いところばかりだと嘆きます。

Cさんは朝目が覚めたときに、あー今日も一日が始まる!と幸せを感じます。
でもCさんの旦那さんは、また一日が始まるのかと気分が暗くなります。

自分がそれを「幸せ」と感じるかどうかです。
「幸せ」と感じた瞬間、「幸せ」という現象が存在するのです。

だから自分次第でいつでも「幸せになれる」のだということに気が付くと、
人生がかなり楽になります。そして楽しくなります。



あるがままにみる-自分-

続きです。今度は自分です。

自分について浮かんでくることを紙に書きだしてみてください。
長所も短所もです。

自分は。。。
優しい
周りに気を使いすぎて疲れる
最近ちょっと太った
ストレスがたまると甘いものを食べたくなる
あの上司が嫌い
お隣さんがうるさくていや
海が好き
お姑さんのところに行きたくない
たまには子供から解放されたい

なかなか自分について書きだすのは難しいかもしれませんが
30個以上は書き出してみてください。

昨日の方が簡単だったかもしれませんね。
相手についてはあれこれと出てくるかもしれませんが
自分についてはあまり深く見つめたことがないのかもしれませんし、
書きながらそんなこと思っちゃいけないとか
自分を良く見せたい思いが出てくるのかもしれませんが
それは一旦脇に置いて、ただ書き出してみましょう。

書き出したら、それをひとつずつ見つめなおしていきましょう。

優しい → そうなんだ!
周りに気を使いすぎて疲れる → そうなんだ!
最近ちょっと太った → そうなんだ!
ストレスがたまると甘いものを食べたくなる → そうなんだ!
あの上司が嫌い → そうなんだ!
お隣さんがうるさくていや → そうなんだ!
海が好き → そうなんだ!
お姑さんのところに行きたくない → そうなんだ!
たまには子供から解放されたい → そうなんだ!

これも昨日と同じです。
自分はこういう面とこういう面を持っているのだとまず認める。

そんなことを言っちゃいけない
そんなことを思っちゃいけない
それでもやらなくちゃいけない

などと判断せず、ただ「そうなんだ!」受け入れて、
その思いをあるがままにみる練習をしていくと、
” こういう自分でいなくてはならない ”という枠が外れていくので
かなり楽になります。

どんな時でも心に平和と愛を!
幸せのシャンパンタワーは私から!
Kuns fra Nobue



あるがままにみる-相手-

続きです。先日は ”あるがままに物をみる” ということを書きました。
今度は ”あるがままに相手をみる” とはです。

息子は全然私の言うことを聞かない。
旦那はちっとも私に感謝しない
姑は文句ばっかり私にいう。
友達は私に優しくしてくれない。
上司はいつも私に皮肉をいう。

などなど、書きだしたらノートがあっという間に埋まってしまうくらい
様々な思いがでてくるかと思います。

でもそれは本当でしょうか?

全然言うことを聞かない息子。
ちっとも感謝しない旦那。
文句ばっかり言う姑。
優しくしてくれない友達。
皮肉をいう上司。

これの現象は事実です。
だからこれをあるがままに受けとり、
この現象に何も感じなければ(意味を持たせなければ)、
その現象は私に何の関係もなくなります。

話しを聞くべきだ!
感謝するべきだ!
文句など言うべきでは無い!
優しくするべきだ!
皮肉など言うべきでは無い!

~すべきだ!と決めつけて
その現象にストレスを感じているのは自分です。
なぜなら自分の思い通りになっていないからです。

だからまず、今度息子が自分の言うことに耳をかさなかったら
カッとしたり、イラっとしたり、
息子に「話しを聞きなさい!」と怒鳴るのではなく、
「私の言うことをきかないんだ」とまず認める。
そして心を平和に戻して、「そーいうこともあるよね!」と
ただ単に受け止めてみてください。

これは難しいですが、やっているうちに必ずできるようになります。
そしてその練習場所は四六時中やってきます!あはは!

どんな時でも心に平和と愛を!
幸せのシャンパンタワーは私から!
Kuns fra Nobue