自分のメガネが汚れていることに気が付いてますか?

続きです。

私たちは真っ黒になってしまったメガネをかけて、ものを見ています。
生まれたときはピカピカの透明メガネで、純粋無垢にすべてを見ていました。

それが一つずつ何かを言われるたび、見るたび、感じるたびに
だんだんとそれがくもっていくのですね。

そしてメガネがくもっていること、汚れていることに気が付いていません。

だからそれに気がついた今、
今度はそのくもりを、その汚れを、きれいにしていくことが大事です。

そしてその汚れがだんだんときれいになっていくと、
平和な心でいられるようになるのです。

なぜならばジャッジ(裁く)しなくなるからです。
あるがままにとらえられるようになるからです。

自分の内側から湧き出てくる感情に、良いも悪いもない

続きです。

そして、これは本当に自分の価値観ものなのか?
自分の価値観なのか?
なぜ私はこのような感情を持っているのか?

という問いかけをしたときには、様々な感情がでてくると思います。

いつも私は怒られて悲しかった。
いつも僕はそう言われて悲しかった。
いつも私は話を聞いてもらえなくて悲しかった。
いつも僕は相手にされなかった。
いつも私は我慢してきた。
などなど。。。

でも出てきた感情にさらにドラマを作るのはやめたほうがいいです。
感情に良いも悪いもありません。
そしてエゴはドラマを作るのが大好きです。
悲劇のヒロイン、犠牲者の役目が大好きです。

悲しい、つらい、我慢したと思ったのは自分のエゴです。
そう言った、そういう態度をした人は
自分が感じたようには思ってないのかもしれません。
ただそう言っただけ、ただそういう態度をしただけなのです。

自分がそのように(悲しく、つらく、我慢したなど)受け取ったのです。
そしてそれは過去の記録が再生されて、自分がそのように感じたのです。

だから自分の内側から様々な感情がでてきたときには、
そのドラマに入り込んで、自分や他人を裁くのではなく、
一歩外から、そのドラマには良いも悪いもないと
あるがままにみる練習をするといいですね。

これは本当に自分のものなのか?

続きです。

これは本当に自分の価値観なのか?と疑ってみる必要があります。

例えば、小さい頃は歌が好きで良く歌っていたのに、歌が嫌いになっちゃったということがあったとします。

もしかするとそれは、誰かに笑われたのかもしれません。
もしかするとそれは、歌ってばかりいないで、勉強しなさいと怒られたのかもしれません。
もしかするとそれは、誰かに音痴ねって言われたのかもしれません。
もしかするとそれは、○○ちゃんの方が上手と比較されたのかもしれません。

自分の中のイライラ、モヤモヤとした感情の根底には必ず怒り、恐怖、悲しみななどの原因があります。
他人に対しても同じです。自分の中にその原因があるから、イラっとしたり
キッっとしたりするのです。

でもその原因のもとは、上記に書いた「もしかするとそれは」が積み重なって、歌が好きという自分の感情をしめ出してしまったかもしれません。そして歌が嫌いになってしまったかもしれません。

結果には必ず原因があります。
それを自分できちんと向き合わないと、また同じようなことが起こるのですね。

だから平和な心でない感情が出てきたときには
これは本当に自分のものなのか?自分の価値観なのか?
そしてなぜ私はこのような感情を持っているのか?と、
問いかけることが大事なのですね。

自分の中に記憶されている情報とは

続きです。昨日は下記のように書きました。

今までの自分の記憶の中に(潜在意識)には、
”こういう状況になったら、こういう感情(態度)になる” という情報が
入力、保存されていて、それがその度再生されます。


自分の中の記憶倉庫(潜在意識)には、お母さんの胎内にいたときから現在までの全ての情報が記録されています。

見たこと、聞いたこと、感じたことなど、五感を通じて体験したことは全てです。

隣でほかの人が話していたことや、つけっぱなしのTVから聞こえてきた情報など、すべてが記録されているのです。すごいですね。

6歳くらいまではその記憶倉庫が開けっ放しになっているので全部吸収します。そしてそれが自分の”ものの見方・考え方(価値観)”の土台になっていきます。

例えば、雨が降るたびに、
「あー雨でうっとおしい、洗濯物が乾かなくて困るのよね」と
お母さんが言っていると、Aちゃんの記憶倉庫には”雨の日はうっとおしい”と記録され、雨が降るたびにその記憶が再生されて、うっとおしいと感じます。

一方、雨が降るたびに
「あー雨がふってくれて嬉しい!植物たちが生き生きするわ!」と
お母さんが言っていると、Bちゃんの記憶倉庫には”恵みの雨は嬉しい”と記憶され、雨が降るとその記憶が再生されて、あー嬉しい!と感じるのです。

例えば、ゴキブリを見つけたときに、
いつもお母さんがギャーとわめいて、逃げ回っているとそれが記憶され、
子供が次にゴキブリを見つけたときに、記憶が再生されて同じような行動をとります。

逆にいつもお母さんが、あら!とスプレーを持ってきてシューっとしているのをみていれば、その記憶が再生されて子供も同じような行動をとるようになります。

例えば、失恋してしまったときに
失恋した後には大泣きして、どん底まで落ち込むという恋愛ドラマを見て育つと自分もそのようになります。
逆に、失恋した後に30分は大泣きするけど、その後ケーキを食べてご機嫌になるという恋愛ドラマを見て育つと、そのようになるのです。

すべて過去の記憶の再生なのですね。
そしてそれは無意識のうちに記録されています。
ということは、その記憶が誰から来たのか、
どこから来たのかわからないということですね。

とすると、自分の価値観(ものの見方、とらえ方)だとおもっているものは、「これは本当に自分のものなのか?」と疑ってみる必要があるのですね。









“どんな時でも平和な心と共にいる”ためには

昨日の続きです。

それでは ”どんな時でも平和な心でいる” にはどうしたらいいのでしょうか?

まず、「エゴ(自我)に振り回されない」ことが大事です。
でも私たちはエゴの世界に生きているので
これはもう日々の訓練あるのみです!

エゴは巧みにささやきます。

なんでこの人はこんなに嫌なことを言うの。
なんであの人はこんなに嫌な態度をとるの。
なんでもっと優しくしてくれないの!
なんであの子は言うことを聞いてくれないの!
なんでこの人のせいでいつも私がこんな目にあうの!
私ばっかり。。。
こんなにしてやっているのに、どうして私はいつも不幸なの。
あの人が変わってくれたら、私は幸せになるのに。

でも本当にそうでしょうか?
そのように受け取る自分がいるから、エゴがそのように囁くのです。
(囁くって漢字すごいですよね。口に耳3つ(^^♪)

「Aさんはいつも私に冷たい態度をとる」と受け取る自分がいるから、
そのように感じるのですね。

Bさんは同じ態度をとられても、
あら、クールでいいわねと思うかもしれません。

Cさんはその態度に何も感じないかもしれません。

ひとりひとり受け取り方が違うということです。
どちらが良いとか悪いもありません。

それではなぜそのように受け取る自分がいるのでしょうか?

なぜかというと、今までの自分の記憶の中に(潜在意識)には、
”こういう状況になったら、こういう感情(態度)になる” という情報が
入力されて保存されています。そしてそれがその度再生されます。

顔も見ずに話をされると → 冷たい態度だと感じる
冷たい態度だと感じると → 嫌な気分になる

だから、こういう態度を取られたら私は嫌な気分になるんだと、
まずそれに気が付くことが大事です。

そして”どんな時でも平和な心でいる”ことを思い出して、
エゴに振り回されない!

嫌な気分から、平和な心でいることを自分で選択する。
ただそれだけです。

エゴの日常生活ではそれの繰り返しです。


どんな時でも心に平和と愛を!
幸せのシャンパンタワーは私から!
Kuns fra Nobue






人生の目的は、一瞬一瞬、愛に戻っていくこと

久しぶりにホ・オポノポノのカードを眺めていたら、
そう!そう!これ!と心に響いた言葉です。
私が言いたかったことが上手く表現されていて嬉しくなりました!

私たちが人生ですべきことはただひとつ。
どんな時でも愛と共にいること。

そのためには ”どんな時でも平和な心と共にいる”
ただそれだけなのですね。

でもただそれだけ、といっても日常生活では、
平和な心でいられないような状況が常にやってきます。
ムカッときたり、イラっとしたり、悲しくなったり、などなど。

「あー、またイラっとしちゃった」と思ったときには、
「なんでいつもこうなんだろう」と自分を裁くのではなく、
「あー、私はこんな時に(こんな風に言われたら…etc)イラっとするんだな」
という自分の感情をただ素直に眺めて、それを認めることです。

そして、「私はどんな時でも平和な心と共にいる!」を思い出し
平和な心にただ、戻ればいいのです。

それが一瞬一瞬、愛に戻っていくことなのだと思います、

他人は平和な心を私に持ってきてはくれません。
自分だけが平和な心を作り出せるのです。

「人生は愛を思い出していく旅路なのだな」
と改めて思い出して嬉しくなりました。

どんな時でも心に平和と愛を!
幸せのシャンパンタワーは私から!
Kuns fra Nobue