不機嫌より、ご機嫌を投げかける!

そうやって自分の言葉に注意を向けていると、今度は自分の行動にも注意が行くようになります。

なぜなら何度も書いていますが、「自分が投げかけたものが、返ってくる」からです。

ちょっと自分の意見が通らなかったら、怒鳴ったり、バタン!とドアを閉めたり、バン!と音を立てて物を置いたり、ドカドカと歩いたりして、不機嫌な態度や怒りを周囲に巻き散らかしていませんか?

不機嫌な態度を投げかけるということは、また不機嫌になるようなことが返ってくるということです。

そして怒りをまき散らすということは毒を吐いているのと一緒です。

小林正観さんの本の中に、一升瓶の中にハエを入れて実験する話がありました。普段の何でもないときの息を入れて密閉していると30分位で窒息死するが、怒っているときの息を入れて密閉すると3分位で毒死するという話を読んだときには、「えっ。。。」と思いました。そしてその毒気は相手も弱ませるけど、自分の体も弱んでいくから、それゆえ腹を立てない方が得だとありました。

その後私はヒーリングを学んだのですが、怒ったり腹を立てたりすると
体がピリピリすることがわかりました。体の痛いところも手を当てるとピリピリします。

「なんかあの人ピリピリしている」と感じることってありますよね。
顔は笑っていても内心腹を立てていれば、無意識のうちにそういう嫌な気を出しているし、周りの人は受け取っているということです。

そうやって自分で体感したのでだんだんと怒ったり腹を立てたりすることが少なくなってきたのですが、たまには怒りが爆発したりすることもありました。でもとそのあとにどっと疲れが出て、怒るってすごいエネルギーを使うんだなと実感しました。人に迷惑かけて自分も疲れてだなんて馬鹿みたいですよね。

それならば、不機嫌を投げかけるよりはご機嫌を投げかけたほうがいいですよね。







またやっちゃた!と思っても「めげない!」

ひとつここで大切な点があります。
ひとつずつ実践していくと、出来なかったときに必ず自己嫌悪に陥ります。

気をつけていたのに、つい「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」などを言ってしまったときの、あーまたやっちゃった。。。

気をつけていたのに、つい汚い言葉を使ってしまったときの、あーまたやっちゃった。。。

でもそう思ったらそれはいい傾向だと思ってください。
なぜなら、自分が発した言葉をきちんと意識し始めたからです。

言わなければよかった。。。
ほかの言い方をすればよかった。。。

自己嫌悪に陥ったということは内観したということです。
だから成長したということになります。素晴らしい!

だからその時には「これでいいのだ!」と思えばいいのです。
一回で出来る人はほとんどいません。

思い出してみてください。赤ちゃんの頃を。
でもきっと自分では思い出せないだろうから、近くに赤ちゃんがいたら観察してください。
赤ちゃんは新しいことを身に付けるまでに、何度も何度も同じことを繰り返します。ハイハイから歩くまでには、何度も何度もつかまり立ちを試そうとしては尻もちをつきますが、もうやーめた!とは言いません。
めげずに何度も何度も繰り返し、そして出来るようになるのです。
見ていて本当にすごいなと思います。

成長してくると自我がいろいろと囁くので諦めそうになりますが、
またやっちゃた!と思っても「めげない!」
同じ失敗を何度繰り返しても「めげない!」
なにがあっても「めげない!」

だって気が付くたびに成長しているのですから!
だから、めげる必要無いのです。自己否定する必要も、自己嫌悪する必要も無いのです。

気が付いたそのままの自分を受け容れる。
そして次の合言葉は明るく「次いってみよう!」です!あはは!

自分が心地よいと思う言葉で話す

そうして「ありがとう」を言っていると、自分の口から出てくる言葉に気をつけるようになりました。いつでも自分が心地よい言葉で話したいと思うようになりました。

私は海外に出てから、日本語の美しさを知りました。
それは美しい響きだけではなく、日本人独特の感性を表す美しい言葉がたくさんあることに感動を覚えました。

それまでの私はけっこう汚い言葉遣いだったのす。もちろん使い分けはしていましたが、それでも叔母(デンマーク在住)は里帰りのたびに、中学生だった私に「言葉遣いが汚すぎる」と言っていました。その時には「みんなそうだもん!環境のせい!私の勝手!」と内心反発していましたが、高校生になってガラッと環境が変わったときに、周りの友達をみて「あっ、私って結構汚い言葉遣いだったんだな~」と気が付きました。今思うとそうやって言ってくれる人がいたこと、環境が変わったことはありがたかったと思います。

そうして叔母の暮らすデンマークに、私もふとしたことからデンマークで暮らすことになりました。叔母は免税店を経営していたので、たくさんの日本のお客様にお会いする機会がありました。

その時に気づいたことがあるのです。日本の方は省略した言葉を使うことが多いのです。あるときデンマークはロイヤルコペンハーゲンという陶磁器が有名なのですが「ロイコペ」と言われたときには、あとでスタッフで盛り上がりました!

そしてとっても素敵だな~と思うお客様に「デカいのある?」と言われたときには内心のけぞりました。その当時は「デカい」という言葉が流行語のように使われていたので、その方は何気なしに使っていたのだと思います。
ですが、そういうお客様が続くとなぜ皆その言葉を使うのかな~?と不思議に思ったのです。

それは私の同居人が私の日本の雑誌を見てが、なんで日本の雑誌なのに英語が書いてあるんだ?と質問してきたのと同じだなと思いました、その時は「はあ?これ普通。」と思いましたが、今はちょっと違うなと思います。

言霊という言葉があるように、言葉には力があります。
正しい日本語を使い、それを繋げ、そして残していくことはとても大切なことだと思います。

どんなに外見を装っていても、なにげなく言った言葉ひとつで天地がひっくり返るような出来事も多々耳にしますよね。

でもまずは自分は発する言葉です。自分の使う言葉は自分自身を表すからです。
そして汚い言葉を投げかければ、それが必ず自分に返ってきます。
汚い言葉を使ったあと、自分のどんな気持ちなるか意識したことがありますか?
心地よいですか?嬉しいですか?楽しいですか?

だから自分が発する言葉に注意を向けるようになりました。
いつも自分が心地よいと思う言葉で話すようになりました。
人に合わせるのではなく、時代に合わせるのではなく。

どんな時でも心に平和と愛を!
幸せのシャンパンタワーは私から!
Kuns fra Nobue




2万5千回のありがとうから始まった奇跡

そうして「ありがとう」を言い続けていた毎日ですが、
正観さんの本には「ありがとうを2万5千回言うと大量の涙が出てくる。そしてその後もさらに続けると嬉しく楽しく幸せな奇跡が起こり始めるらしい」と続きが ありました。

毎日「ありがとう」を言い続けているけれど、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言ったらまたやり直しになってしまう。それならば一気に2万5千回言ってみたらどうだろう!と思ったのです。

そしてある日、ノートに正の字を書きながら2万5千回ぶっ続けで言ってみました(笑)

あと少しで2万5千回!すっごい涙が出てくるはず!とめちゃくちゃ期待が高まる中、2万5千回目を言い終わったあと。。。達成感はありましたが、涙は出てきませんでした。数え間違いかもしれないとあと千回位続けて言ってみました。あはは!きっと大量の涙が出てくることに執着していたのかもしれませんね。

でも全然思ってもみなかったことが起きました。
それは煙草を自然にスパッとやめたことです。それもなんの副作用もなく。

でもやっぱり何で涙が出てこなかったんだろう?と思いました。
途中で五戒を思ってリセットされちゃったのか?
数え間違いか?とおかしい!と思ってしばらく経ってからまた言ってみたのです。

その日は二日酔いで役立たずの日でした。それならばとベッドの上にノートを持ってきて、寝っ転がりながら2万5千回言ってみました。
が、やっぱり涙は出ず!
なーんだ残念!でもしょうがない!と思って終えたのですが
その後、体にあった痛みが消えていることに気が付きました。

これが「ありがとう」の奇跡なのか、偶然なのかどうか私にはわかりません。
でも面白いこともあるもんだと思ったのです。

その後マントラやアファメーションのという言葉を知ったとき、
あの時言い続けてた「ありがとう」は、これと同じだったんだと思いました。

20年以上たった今でも「ありがとう」の日々は続いています。
だから心にピン!ときたことを楽しくやってみる!って大事だなと思います。
だってそこから私の奇跡(自分の内に目を向けること)は始まったのですから!

もう一日中言い続けることはないけれど、料理の材料を切るときは口から勝手にでてきます。そしてたまに心がしょぼんとしちゃったときにも無意識のうちにつぶやいています。

そのくらい「ありがとう」は身近な言葉になりました。
そして「ありがとう」と言いたくなる現象がいっぱい起こるようになりました。そしてそれはいつしか感謝にかわり始めたのです。

ありがとうの毎日を楽しみながら実践する

以前も書きましたが、私は小林正観さんの本を頂いてから精神世界に興味を持ち始めました。

最初に実践したのが、「ありがとう」と言うことでした。

「ありがとうを言い続けると、おもしろい現象が起こりはじめる」と書いてあったので面白そう!とワクワクしたからです。

そしてその「ありがとう」には心を込めなくてもいいとありました。
なんだそれなら簡単じゃない!と「ありがとう」を言い始めたのです。

朝起きたら「ありがとう」
歯磨きしながら、「ありがとう」
コーヒーかき混ぜながらの「ありがとう」
その当時は勤めていたので、「ありがとう!ありがとう!ありがとう!」を好きな歌のメロディにのせて歌いながらの自転車ありがとう通勤10分!
仕事中もありがとう!
トイレの中でもありがとう!
買い物中もありがとう!
すれ違う人にもありがとう!
料理のときにも材料を刻みながら、鍋振りながらのありがとう!
会話しながらもありがとう!
シャワーを浴びながらもありがとう!
そしてありがとう!を言いながら眠りにつく毎日でした。

そうすると何だかフフっと楽しいのです。
ありがとうを言っている自分自身を楽しんでいました。

でも、ある言葉をいうとやり直しになるというのです。
その言葉というのが五戒(不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句)です。
これを言った瞬間に「チーン」という音がして、そこからまたやり直しだというのです。

始めたころは「チーン」がよく鳴り響きました!あはは!
あーまた初めからか。。。と、とほほの毎日。
でもそうしていくうちに、自分の言葉に意識が向くようになってきます。
「チーン」を聞きたくないから、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」が口から出てくる前に、言うのやめておこう!と思うようになってきたのです。
それよりもありがとうを言ったほうが自分のためだと!

今思うと、これはとても良い訓練だったのですね。
なぜなら「自分が投げかけたものが、返ってくる」ことを実践し、実感し始めたからです。

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を投げかけるのではなく「ありがたい!楽しい!嬉しい!幸せ!」を投げかける

文句を言われても、あはは!と受け容れられるようになると人生が楽になります。
さっさと回収作業を終了したいところです。
でもそんなに簡単にはいかない。。。のが現状です。

自分が投げ方たものが、自分に返ってくるのだから
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を投げかけるのではなく
「ありがたい!楽しい!嬉しい!幸せ!」を投げかけたら、
それが返ってくることになりますよね。ここに気がつくことが大事です。

まずは自分の言動をひとつずつ見直して、変えていくことから始めましょう。

小林正観さんは「五戒のないように」とダジャレを言いました。
五戒とは言ってはいけないこと=「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」
そして「うたし言葉」として、「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ついてる」をすすめていました。

齋藤一人さんはそれを天国言葉・地獄言葉と言っています。
天国言葉=「愛してます・ついてる・うれしい・楽しい・感謝してます・幸せ・ありがとう・許します」

これをマントラのように何回も唱えていると面白いことが起こり始めます。

まずは「ありがとう」から始めると面白いです。
何かしてもらったら小さな声でもいいから「ありがとう!」と言ってみてください。
次の時にはちょっと笑顔で「ありがとう!」と言ってみてください。
そうすると相手がニコッと喜んでくれるかもしれません。
そしたら自分も嬉しい気分になりますよね。
そうするとまた「ありがとう!」と言いたくなるような現象がやってくるからです。




やることはもう既に教わってきたこと。でもそれは八正道にもつながって来る

「自分が投げかけたものが、返ってくる」
だから、自分の言動、行動、思考、感情ひとつひとつに意識を向けていく。
それが大事。

と書きました。

お釈迦様の教えに「四諦八正道」(したいはっしょうどう)というのが
あります。

なぜ急にお釈迦様?仏教?宗教?と思うかもしれませんが
この八正道というのは、昔から言われてきたことです。
両親からもおじいちゃん、おばあちゃんからも、学校の先生からも
当り前のように教えられてきたことです。

四諦とは簡単に言うと
苦諦(したい):この世は思い通りにならないことばかり、苦で満ちている。
集諦(じったい):その苦しみの原因は執着である。
滅諦(めったい):その執着をなくせば楽になる。
道諦(どうたい):執着をなくすために実践をひとつずつ日常の中でやっていく

その実践が八正道です。八正道とは簡単に言うと、

正見(しょうけん):正しくものを見る
正思惟(しょうしゆい):正しく考える
正言葉(しょうご):正しい言葉を語る
正業(しょうごう):正しい行いをする
正命(しょうみょう):正しい生活を行う
正精進(しょうしょうじん):正しい努力をする
正念(しょうねん):正しい思念を持つ
正定(しょうじょう):正しい精神

どうですか?言われてきたこと、聞いたことがあることばかりですよね。

人が嫌がることはしない。
人の悪口や嘘を言わない。
謙虚な気持ちを持つ
体に良いものを食べる
整理整頓する
親切にする
周囲への気配り、心配りを持つ
感謝の気持ちを持つ

だから、なにひとつ新しいことはないのです。
それを日常の一瞬一瞬に丁寧に実践してくことです。
それが自分の心の平和に繋がっていきます。


だから自分の言動、行動、思考、感情ひとつひとつに意識を向けていくことが大事

この世はとてもシンプルにできています。
「自分が投げかけたものが、返ってくる」
ただそれだけです。

と昨日書きました。
だから、自分の言動、行動、思考、感情ひとつひとつに意識を向けていく。
それが大事なんですね。

誰かに何かを言われて、とっさ的に文句を言ってしまったら、
あの人がそんなこと言ったからではなく、
あの人がそんなことしたからではなく、
まず「自分が文句を言った」ということを受け容れることが次の一歩です。

良い悪いはありません。
だから最初は、「あっ私また文句言っちゃった」とただ素直に認めて受け容れるる。
そして次の段階では、とっさ的に何かを言い返すのではなくて、間を置いてみる、一呼吸してみるなどして、次に自分が何を言うのかを意識してみる、自分の次の行動に意識を向けていくことが大切です。

その時に、「自分が投げかけたものが、返ってくる」と思い出せるといいですね。

そうすると必ず自分に返ってくるのだから
悪い言葉を投げかけることが少なくなってきます。
嫌味な態度を投げかけることが少なくなってきます。
文句を投げかけることが少なくなってきます。

それを続けていくと、段々とそのような状況が少なくなってくるのです。

今、自分は周りから文句ばっかり言われてる!と思っているのならば
それは自分が投げかけたものを「ただいま回収中!」だと思ってください!
そうすると文句言われても、あはは!と楽しくなります!

回収作業を続けるのか、終了にするのかは、これもまた自分次第なのです。

この世はシンプルにできている「自分が投げかけたものが、返ってくる」

ここからはひとつずつもっと詳しく書いていきたいと思います。

この世はとてもシンプルにできています。
「自分が投げかけたものが、返ってくる」
ただそれだけです。

それはまるでブーメランのようですが、
すぐに自分の元に返ってくるとは限りません。
数日後、数週間後、数年後、もしくは来生以降に返ってくることもあるのです。

そしてその「投げかけたもの」とは何か。
自分が発した言葉、態度、反応、行動などすべてです。

  • ちっ!と思ったら、またちっ!という状況が自分に返ってきます。
  • 悔しい!とお思ったら、また悔しい状況が自分に返ってきます。
  • 辛い!と思ったら、また辛い状況が自分に返ってきます。
  • 悲しい!と思ったら、また悲しい状況が自分に返ってきます。
  • お金がない!と思ったら、またお金がない状況が自分に返ってきます。

でも

  • 嬉しい!と思ったら、また嬉しい状況がやってきます。
  • 楽しい!と思ったら、また楽しい状況がやってきます。
  • 幸せ!と思ったら、また幸せな状況がやってきます。
  • ありがたい!と思ったら、またありがたい状況がやってきます。
  • 感謝!と思ったら、また感謝の状況がやってきます。

どちらを選ぶかは自分次第です。

ここからの一歩…受け入れて内観、そして実践

先日「最初の一歩」をまとめました。
それを読んでピン!ときて「私!実践する!」と思うならば、
もうこの先を読む必要はないかもしれません!

なぜなら、内なるあなたは全部知っているということを思い出したからです!
そしてそのためには何をするのかということを思い出したからです。
あとは内観、そして実践を続けていくだけです。

私が言う「悟り」とは、学問でもなく、修行の積み重ねでもありません。
私が言う「悟り」とは、すべてを「受け入れること」。
1秒目、過去のすべてを受け入れること。
2秒目、現在のすべてを受け入れること。
3秒目、未来のすべてを受け入れること。
最短“3秒”で悟ることができるのです。

昔、小林正観さんの上記の言葉を読んだときには
「ほーそんなに簡単に悟れるんだ!すごい」と嬉しくなりました。
なぜなら毎日瞑想しなくても、山に籠らなくても
「受け入れる」ことができれば、3秒で悟ることが出来るのですから!
そしてそれは後になって里美ねーやんから「アホになったら早い!」と
聞いたとき、意味が通じ合いました。

なぜなら、左脳からの「そうはいっても」とか
「でもこれは・・・でもあれは・・・」のあーだーこーだとの
エゴの声を聞くのではなく、
「あー そうなんだ!」と素直に受け入れられるかどうか、
ただそれだけなんだ!ということに気が付いたからです。

だからそれが簡単に出来る人もいます。(アホになれる人!)
でも出来ない人もいます。それが大半です。

私も行ったり来たりです。

実を言うと「悟れていないあなたが、偉そうにいろんなことを書き綴っていいのですか?」とずっとエゴが私に囁いていました。

「毎日が平穏で、愛と調和の中ですべて満足する生活をしていなければ
そんなことを書き綴る権利があなたにはないのだと。。。」

そこで何年ももがく自分がいました。
でも伝えたい!書きたい!と思っている私とエゴとの葛藤の中で
ふと、「そんな悟った完璧な生活ができてたら、もうこの地球でこの人生過ごしてないよね!あはは!」と思えたのです。

人生劇場の前半は楽しい嬉しいこともいっぱいあったけど、とっても苦しかった。
色々と学んで実践してきて、やっと山の山頂が見えたと嬉しくなり、たどり着いてほっとしていると、また次の山が目の前に現れる。
そして前回よりも少しは楽に山頂にたどりつき、ほっと一息するとまた次の大きな山が現れる。

その繰り返しなんだということに気が付きました。
でもその山は必ず乗り越えられることもわかりました。
だってその山々を用意したのは自分だからです。

人生の最後までその山登りは続くならば、人生劇場の後半は
その山登りで私が学んで実践してきたことや、これからの歩みを
あの頃の悩み苦しんでいた自分に贈りたいと書き綴り始めました。

もしご縁がある方が、もしこの書き綴りを読んで
一緒に山登りの仲間になってくださったら嬉しいです。

ここからは、「最初の一歩」で書いたことをもっと詳しく書き綴っていきたいと思います。