すべての責任は自分にある

自分以外のことは「ただ見守る」と書きました。

が、私たちはひとつです。全て繋がっています。
ということは、関わったものはすべて自分にも責任があるということになります。
見たもの、聞いたものすべて自分の責任だということです。
だからすべてをクリーニングしていきます。

なんのため?なぜ?どうして?
そんなことは私たちの思考(顕在意識)ではわからないのです。
でも潜在意識はわかっています。
だからただクリーニングするのです。

例えば戦争ががあると、大変だ、可哀そうだなどいいます。
そしてあいつが悪いと、他人事のように言います。

でも投げかけたものが、自分に返ってくるを思い出してください。
自分が投げかけてなければ、それを見ることも聞くこともないのです。

もちろん戦争はよくないことです。
でも小さな戦争(人と争う、嫌う、裁く、おとしめるなど)がいつも自分のなかで、家庭で、職場でで起こっていませんか?

自分の中の小さい戦争はまあいっかとゆるせるけど、他で起きている大きい戦争は悪いからゆるせないのですか?

わたしはのちに「A Mighty Hear (マイティ・ハート/愛と絆」という映画の中で、旦那さんを殺されたあとに、奥さんが言った「憎めば、またそれが繰り返すから私は彼らを憎まない」と言った意味がわかりました。
彼女は投げかけずに、その連鎖をとめて、ゆるしたのです。

なぜならすべてはひとつだからです。私もあなたもおおもとから繋がっているひとつだからです。
だからあなたの責任は私の責任に繋がるのです。

だからクリーニングが必要なんですね。
見たもの聞いたものすべてをクリーニングする。そして愛を贈ることによって、何かが変わってくるのです。その何かが何なのかは知らなくてもいいのです。
愛を贈ることによって誰かが癒されているのですから。